ROCKIN’ON JAPAN 2001年12月号 Vol.213

「BRANDNEW KING OF PRISONER Syrup16g」 インタビュー=鹿野淳


●シロップの取材をしろしろってうちの編集部がうるさくてしょうがないんですよ。大きく間違った出来事って気もするんですけど。

「はははあ、うん。ねえ。なんか世の中がちょっとね、そういう感じになっちゃってんでしょうねえ。飛行機突っ込んじゃう世の中だからね、やっぱり」

●いや、僕が編集部からシロップを取材しろって言われてムカついているのは、弱者であることを自己肯定してシロップの音楽にアイデンティファイしちゃって、盛り上がってるところが確実にある。その気持ち悪さが我慢ならないんです。

「ははは…」

●で、その我慢ならないって気持ちを、今日は五十嵐君にぶつけに来ました。

「ははは。あ、そういうアングルなんだ(笑)。凄いですね、鹿野さんって」

●どうなんですか。諦めてる自分を自己肯定するために五十嵐君は音楽やってるんですか?

「全然違いますよね。逆にそのあったかいところにいたら多分この『COPY』は出来なかったと思うんですよ。日本て、ある意味食べていけるところだから、そういう自分を飼い馴らせる街でもあるわけで。唯一自分を突き付けるものっていうかね。だから逆に言うと救いじゃなくて、全然。もう苦しい作業っていうか」

●じゃあ五十嵐君にとっては音楽表現は自分を肯定するっていうよりは自分を辱しめるものであったりするの?

「そうですね。そこにまず向かい合うっていうのはあるんですよ。で、自分と向かい合うとどうしても弱いとこしかあんまり見えてこなくてですね。何て言うかな…ほんとどうしようもない生活をしてるわけですよ、普段はもう」

●何を情けない顔して言ってんの(笑)

「ある意味で人間的というか、動物っていうかな。飼い馴らされて、システムの中で温存させられてこう―生きてるというよりは生きさせてもらってるというか。そのモラトリアムなものを享受出来てしまってるとか。だからやり直したいという気持ちもあるというか、音楽を続けることが幸せかどうかも分からないしね。でもたまたま自分にはそういう若干なりのこう、才能っていうか表現する術っていうのをもらってたからよかったけれども。そうじゃない人達も蔓延してるじゃないですか。もうもて余してるっていうか、生を。その、生きるってことは何なのかっていうのが全然分からないじゃないですか。そこまでいってしまえばもしかしたら一介のつまんない音楽をやってるバンドでも価値があるかなと」

●なるほどね。ただ俺こうやって話し合ってても分かるんですけど、五十嵐君は駄目であるってことに対してもの凄く客観的な自分もいるわけですよね。

「そうですね」

●自分を表現の奴隷にしてくみたいなことってどういう風に考えてます
か。

「破壊衝動とかそういうこう、自己破滅願望みたいなものはもしかしたら―本意じゃないにしてもね、多分人間てそんな生まれながらにして破滅的な方向に行くようには生まれてないと思うんですけど。でもなんかこう、生きていく中で自分を追い詰めてしまってるっていうかね。そういうところがないとも言い切れないかなあ。だから今ってすさみ方も凄いと思うし。僕らより下の世代の方がもっと深刻で。そういう人達がうちらのものを聴いたらぬるいと感じるかもしれないんだけど。でも家帰ってひとりぼっちになった時に、暴力衝動なり何なりこう、欲望なりを吐き出してるだけでは人間多分いられないと思うんですよ。そこの部分ていうか、そこに歌があってもいいかなあっていう感じはするんですよ」

●なるほどね。だからある意味人間なんて死ぬまで競争社会の中で行き続けていくわけで。五十嵐君てやっぱりそういう中で取り残されてた自分を感じてる人間だと思うんですよ。

「そうですねえ。結構小っちゃい頃からね、優等生だったんですよ、僕。だからそういう意味でなんかエゴが凄い早くからあって、自我がそこに増幅されてしまってて。助長されてしまって。誰も止める人がいなかったんですよね、周りに。だからもう最初はまっすぐな人間だったからもの凄い折れやすくてですね。中学ぐらいまではもう部活とかほんとに努力することの正しさみたいなのを疑いなく純粋にまっすぐに生きてきたものだから、自分が阻害されてるってことに対して対処出来ないわけですよ。で、人とのコミュニケーションてのがほんと下手になってくのに気が付いて。高校ぐらいになってくると、まあある意味個人主義というか、あいつは分かんない、俺は関係ない、そうやって出来る頃になってくるんですよね。そうするとそれを保持したまんまっていうかね。でも直で言ってくれる人もいるんですよね、『お前何か違うよね』とか。でも今はそれすら言ってくれないっていうかね」

●ある意味それは甘えじゃないですか。

「そうですね(笑)その、うーん…その、ほんとこの仕事はね、僕全然あの、無理があるんですよ」

●ははははは。

「音響の専門学校入ったりとかロッキング・オン受けたりとかするのは、そこがいけないんですよ。でも傍にいたいっていうか、ずっとこう年月を過ごしてしまったら、もう自分達でやらざるを得ないっていうかね。表現ていうものを身に付けないといけないっていうか。でもその、意外と自分がやってみると、『いいね』って言ってくれる人がいるんですよね、こうやって。少数ですけど。でもそれによってやっぱり若干こう、『ああ、生きてるなあ』っていうかね、そんな瞬間が。うん、そんな気持ちが。―僕はシンパシーを自分に対しては持ってなくて。こういう表現をしてる人も僕嫌いなんですよ、ちょっとなんか倒錯した言い方になっちゃうんですけど。まあ単純に近親憎悪かもしれないけれども。そこを表現の盾にして弱者を食い物にするみたいな表現は凄い嫌なんですけど。だからこう、でもそこから逃れられなかったのかっていう、ある種の敗北感ていうかな。なんか自分に対してもうひとつの新しい価値観を提示するまでね、自分が持ち得なかったっていうか。だからバンプとかね、新しい価値観をちゃんと作りたいんだなっていうか。なんかそこにいたくないっていう、
ちゃんと表明はしてるじゃないですか。そこにおいてはね、凄いこう、敬意と共にジェラシーというか。もの凄い嫉妬を感じるし。だから、早くね、彼らとはまた違うやり方で新しい何かを見つけたいんですけど」

●なるほどね。バンプっていうのは「ここにいたくない」っていうことを明言してるんだけど、シロップはここであること、そして自分であることっていうのに対して全てをニヒルで塗り潰してってると思うんですよね。

「そうですねえ」

●何よりもここであることを抹殺してくっていう、あなたの表現はそういうものだと思うんですよ。

「そうですね。だから自分はまず…真綿でくるむような表現ではなくて。初期レディオヘッドのようなやさしく包むようなものではなくて。僕の歌詞は全部自分に対して言ってることだから。まず殺したいっていうかね。表現がちょっと正しいか分かんないですけど、まずそれがありますね。それが出来ないんであれば、もう表現ていうのに携わるべきではないぐらいに思ってて」

●それは何で殺さなくちゃ表現に携われない?

「うんと、そうですね、気持ち的には凄いこう…闘ってるべきだと思うんですよ、表現においては。それがこう、自分を痛めつけるやり方の闘い方しか出来ないっていうね。正しいとは思えないんですけど。でもそれしか出来なかったんです。だから心の強さとか生きる力っていうのは、神様が全然違う分量を与えてると思ってて。で、僕は生きる力をいっぱいもらってないと思って。でもやっぱりそれでも生きていきたいから」

●だからチューブをしぼるわけですよね、生きてるというチューブを。

「うん、そうそうそう。そうですね。僕はそういう風には生まれなかったっていうことをまず受け止めるっていうかね。でもそこで負けるんじゃなくて、それで傷付いたり、過激な自分と対峙してくってことは唯一のこう、生きるってことだと思ってて。だからね、毎日がほんとにそういう感じなんですよね。だから弱い人は―弱いってのはイコールずるいでもあるし、なんかもう汚い―ほんとにまっすぐな人に比べたらそれは見栄えしないけれども、その人にはその生き方があるべきで。それを生ききった時、死んだ時に、俺は『自分なりに頑張って生きたな』って言った人が一番こう、やっぱり強い遺伝子を持って生まれてきた人よりも生きたんじゃないかなと思うから」

●五十嵐君はよく「グランジ」っていうのを言葉にするからあえて聞くんですけど、例えばカート・コバーンていう人は弱者である自分を誰よりも敏感に自己認識しながら、何かに接する瞬間に自分を守るためにギターをかきむしる、そしてロックをヘヴィに鳴らすっていう。それを鎧にしましたよね。

「うん、そうですね」

●ただ五十嵐君にとっての音楽というのは、弱いということをメランコリックに伝えてるものなので、ギターをかき鳴らして重く鳴らすっていう、そういう鎧すら持ってないっていう。

「そうですねえ」

●鎧を持てばもっとラクなのに、その鎧すら持たないで、「アイ・キャント・チェンジ・ザ・ワールド」ってあなたは言うわけですよ。その無防備な弱さっていうのはもの凄く卑下してるものを感じるんですけど。あなたは何故そんなことを言ってしまうんでしょうね。

「そうですよねえ。それは凄く思いますねえ。何でだろう…だから音の壁で自分を隠してしまってるんじゃないかな。カート・コバーンもきっとバアッてやってる時は一瞬忘れられるかもしれないけど、もの凄いフィードバックがあったと思うんですよね。…ほんとの苦しみっていうか、あらがうことの出来ない苦痛を味わってしまった人間は凄い臆病になると思うんですよね。自分でリミッターかけてしまうっていうかね。そこの中でこう、だからこう最終的には攻撃には向かわなくなってしまうんですね」

●自己表現する、自己を辱しめていくっていうことでエクスタシーを感じられればまだラクなんだけど(笑)、五十嵐君はそれを感じるわけにはいかない。他者が聴くとそこにもの凄いロック的な執念と怨念と衝動を感じるし。感じるんだけど、それは自分にとってかなり重い作業ですよね。追い込んでくことで自分の生が前進していってるっていう実感、明日まで延命してるって実感はあるの?

「『今日生きたな』っていう感じはありますよね。明日はないですね。こう、生ききる。ほんとに普通に誰かに電話をしたりとかすることですらもの凄い僕は苦痛な人間なんですよ。でもそういう生き方しか出来ない自分は不器用なやり方をしてるんだなあと思うんですけど。きっとだから…凄いこう、思春期的な衝動ですけど、まず自分を痛めつけることで生きてる快感を得るっていうものがあるじゃないですか。それに近いのかもしれないですね。あまり考えたくないですけどね…」

●だからあなたはこれをやり続けて、自分の気持ちを正当化させてくしか俺はないと思う。

「(笑)社会的にもう自分は―もうなんかあんまり―こう言うとなんか誤解もあるかもしれないんですけど、この世界で生きていくことにあんまり未練はないんですよ。死にたいとかいうことではなくて、安易にね。でも結局最終的にはその場限りの幸せと、お金だけを追及することが正しいことになってるから、やっぱり世間的に。それ以外のものはやっぱり凄いやりづらいし。でもね、最後まで自分が正しいと思ったことをやるしかないんですよね…もうクサいこと言えばね、凄いこう音楽とほんとに一緒に生きてきたから、最後までそれと添い遂げたいっていうかね」

●うん。だんだん五十嵐君のメカニズムが分かってきた。

「分かってきた?(笑)。もう駄目だ。申し訳ない…」


『ROCKIN'ON JAPAN  2001年12月号 Vol.213より』


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